初秋の長崎の旅編

  
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 2003/8/20(水)

 目覚めると4時半、しばらくラジオを聴きながらまどろみ、5時半くらいから仕度を整えて前
 日予約したタクシーが到着小田原駅へと向かう。空はどんよりした曇り空で途中で小糠雨
 が降り出した。小田原駅のホームで表を見ると相変わらず小糠雨が降り続いている。今年
 は本当に変な夏です。

 小田原7時07分発ひかり141号で名古屋へと向かう15号車3番A席隣のB席にはすでに
 30歳代のサラリーマンが座っていた。座席は8割がた埋まってサラリーマンが多いです
 ね。

 熱海は霧で煙っていて雨が降っている。円形の西熱海ホテルの横を通過新丹那ンネルを
 出ると三島の街は曇り空で三島〜静岡間で所々青空が覗く、8時26分名古屋到着。
 15号車から「のぞみ3号」は4号車なのでホームを大阪方面(先頭方向)へ移動する。

 名古屋8時34分発のぞみ3号4号車5番E席すでにD席には50歳代のおじさんが座って
 いた。相変わらずの曇り空で、隣のおじさんは京都で下車、新大阪から隣のD席には40歳
 代のサラリーマンが乗車する。

 どんよりとした曇り空が続き、ようやく西明石駅あたりから晴れてくる、岡山駅に近づいて来
 ると沿線に窯の煙突が数多く見えるようになる「焼き物だなぁ?何焼きなんだろう?」と思っ
 ているとハッ!と気が付く「そうか!備前焼だ!」D席のサラリーマンは広島駅で下車する。
 新岩国駅付近からまた曇ってくる。新下関駅を通過するとすぐにトンネル(関門トンネル)に
 入り5分間で駆け抜けると小倉の工場群が右手側に見えてくる。小倉駅を出発して筑豊地
 方の田園地帯や山中を駆け抜け11時57分博多駅14番のりばに到着する。
 久しぶりに見る夏空で暑い!

 在来線乗り換え口から入って4番のりば12時22分発かもめ19号5号車B室13番A席、1
 車両A室B室に分割されていて5号車はA室が喫煙自由席で、B室が喫煙指定席になって
 います。列車自体も長崎行き「かもめ」・佐世保行き「みどり」の併結列車で途中の肥前山口
 駅で分割され、かもめは長崎本線、みどりは佐世保線を進んで行きます。福岡県から佐賀
 県へと入り、肥前鹿島駅を過ぎると進行方向左手側に有明海
(1) (2)が広がってきま
 す。今日は波がまったく無く鏡のような水面です。9年前は大雨の後だったのでカフェオレ
 のような濁った汚い有明海でした。

 途中、多良・肥前大浦間で上り列車とのすれ違いのため信号所で停車、湯江駅に近づいて
 来たときですかね?後ろの14番A席B席の70歳代のご夫婦、その奥さんが「おとうさん!
 鬼山鉄工所ですよ!懐かしいですねぇ!」湯江駅でまた上りの列車とのすれ違いで停車、
 「おとうさん!湯江駅ですよ!あの正面のスーパーの辺りじゃないですか?」「おお!そうだ
 !そうだ!」はるか昔ここら辺に住んでいたんでしょうかね?このご夫婦は諌早駅で下車さ
 れました。諫早駅に近づくとあの悪名名高い諫早の水門の姿が見えてきます。

 14時28分長崎駅に到着、改札を出てかもめ広場に来るとスポーツウエア姿の高校生が
 集団で腰を下ろして待っている。「なんかの大会があったのかな?」と横の柱を見ると長崎
 ゆめ総体のポスターが貼ってある。「そうか!高校総体があるのか」これで納得。

 長崎駅前電停から市電の長崎電気軌道(統一料金でどこまで乗っても1回100円)1系統
 正覚寺下行きで築町(つきまち)電停下車、斜め向こう側にある長崎ワシントンホテルにチ
 ェックインする。

 30分ほど休んで築町電停から1系統赤迫(あかさこ)行きで長崎駅前電停下車、バス乗り
 場から長崎バス6系統16時03分発神の島行きで終点神の島1丁目バス停で下車する。
 じつは、終点とはまったく知らないでそのまま座っていると、運転手さんに「終点ですよ!」
 と言われて気が付く、運賃は220円だった。降りる際に「教会に行きたいんですけど?」と
 言うと、「ほら、いま車が入っていくでしょ!」「はいはい!」「あの道をずうっと進んで行けば
 わかりますよ!神の島教会でいいんですよね?」「そうです!お世話様でした。ありがとうご
 ざいました」

 1歩外に出るとカンカン照りでむっとするような暑さ、バスはここで方向転換して神の島営業
 所に入っていった。

 言われたとおり道を進んでいく。先の方に人だかりがある「なんだろう?」と近づいていくと
 生協だったかなトラックが止まっていていろんな食料品を積んでいて一種の引き売りでしょ
 うね、買い物をしているお年よりの姿でした。そのお年より達の横を通りすぎて約5分ほど
 歩くと
神の島教会の姿が見えてくる。海の方には小さな島があってその上にマリア像
 が立っている。教会へと続く階段を登ると白亜の美しい教会が目の前にある。

 教会の下には幼稚園か保育園でしょうかね?カラフルな色の建物が見えます。北のほうに
 目線を転じると長崎自動車道の鶴大橋架橋工事の真っ最中で高い主柱がそびえていま
 す。

 写真を撮り終え今来た道を戻って行く。神の島1丁目バス停には、ひとりおばあさんがバス
 を待っていた。『この60番は長崎駅前を通りますか?』『ここら辺のバスは長崎駅前を通ら
 んと行かれん、にいちゃん!どこから来なさった?』『神奈川県からです』『どこ行ったんや
 ?』『教会に行ってきました』『教会、あそこは階段上がらんと行かれんからなぁ』『ずうっと
 暑いんですか?』『2・3日前から暑くなったその前は曇りや雨だった・・・・にいちゃん!暑い
 のは好きか?』『暑いのは苦手ですね、冬のほうがいいです』『冬の方が好きか?なんで好
 きなんや?』『冬は寒ければ重ね着すれば済みますが、夏は裸でも暑いですからね』『そり
 ゃそうやな!にいちゃんの言うとおりや』お年寄りとの会話を楽しみながら、しばらくすると
 60系統のバスが到着、ここから乗り込んだ乗客はボクを含めてわずか3人(40代の女性
 と、おばあさん)のみ。途中で数人乗り込んできまして席はまだまだ余裕がありますが、し
 かし、ちょうど三菱重工の退社時間と重なって飽の浦バス停では立錐の余地の無い超満
 員状態で発車する。

 なぜか皆さん長崎駅前バス停ひとつ手前の八千代町バス停で降りていく。♪なんでだろう
 〜 なんでだろう〜 なんでだ? なんでだろう〜♪

 長崎駅前バス停で下車(運賃220円)して、長崎駅バス乗り場から3系統下大橋行きで、
 ロープウエイ前バス停(運賃150円)で下車(ここで降りたのは3名)、すぐ先の淵神社の
 石段を駆け上がる。上がり切って進むと正面は淵神社、提灯に明かりが灯(とも)っていて
 おじさん達が集まっている。『お祭りでもあったのかな?』今回の旅行の安全を願ってお参
 りする。お参りが済んで隣にある
稲佐山ロープウエイ淵神社駅で往復切符(12
 00円)を購入、『次ぎの発車は18時15分です、それまでしばらくお待ちください、15分間
 隔で運転しています』

 
アドバイス@
 これは覚えておいた方が便利です。長崎駅方面からバスで来た場合は、バス停(ロープウ
 エイ前)を降りたらその先にある淵神社の石段を駆け上がって道どおり進んでください。上
 がり切ると正面が淵神社で、その左隣が稲佐山ロープウエイの淵神社駅です。駐車場の
 方からだと、多少遠回りになりますので、急いでいる場合はこちらの方が早いですよ!


 発車時間が来て乗り込んだ乗客は先ほどバス停で降りた3名(ボク、20歳代の女性2名)
 案内の女性(浴衣姿)が乗りこみ発車、5分間ほどの空中散歩で稲佐山駅に到着。

 そこから少し歩いて円筒形の稲佐山展望台へと向かう。まだ日没前で、海に沈む夕日が見
 えるか?と期待したがあいにく水平線のところに雲が出ていた。

 1時間ほどすると1000万ドルの夜景が眼下に広がる、一応撮影したが三脚を持ってくる
 のを忘れたため手ブレがひどく使い物にならない。明るい時の画像は綺麗なんですが、夜
 景となるとシャッタースピードが極端に落ちるので三脚無しでは難しいですね。23日の夜に
 もう1回撮影に来ることになった。 

 
稲佐山からの夕方の風景 浦上方面 長崎駅方面 山手方面

 ロープウエイ前バス停に戻ってきて40系統ダイヤランド行きで長崎駅前バス停で下車長
 崎駅前電停から長崎電気軌道系統1号正覚寺下行きで築町電停下車ホテルへと戻る。
 すでに20時半を過ぎていた。

 
アドバイスA
 ロープウエイ前バス停から長崎駅方面に出るには20系統・30系統・40系統を利用して
 ください。バス正面の「なになに行き」の行き先表示を見るより、系統番号を見たほうがわ
 かりやすいです


  
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 2003/8/21(木)

 市電築町電停から1系統赤迫行きで松山町電停下車、目の前の道路を渡って向こう側の
 
平和公園へ向かう、そこから道路沿いを南に50メートルほど下り原爆落下中心の碑
 がある
原爆公園へ、あの夏の日、昭和20年8月9日午前11時02分ここの上空500
 メートルで
プルトニウム原子爆弾が炸裂、長崎の街が一瞬のうちに何も無い“原子野”と
 化した。

 横の浦上川の支流の横に階段があって降りられるようになっていて、被爆当時の地層が
 見られるところがある、茶碗やいろいろなものが折り重なって当時の悲惨な状況がわか
 る。

 浦上川の支流を渡って隣にある
長崎原爆資料館(入館料200円)へ向かう。入ると
 すぐにグニャリと曲がった火の見やぐらの鉄骨や11時2分で止まっている柱時計・被曝し
 た淵国民学校の遺壁・浦上天主堂の壁などが展示されている。しばらく進んで、『
岩のよう
 になった赤土
』には涙が流れてしまいました。むごい!むごすぎる!、猛烈な熱線(1800
 度くらい)を浴びて炭化した黒焦げの死体の写真や、炭化した皮膚が剥がれて頭骸骨が露
 出している黒焦げの死体の横で呆然と立ちすくむ女性の写真が掲示されていて、声が出
 せない状態でした。屋根瓦は猛烈な熱線により表面が沸騰して柚子肌状態となっていま
 す。干されていた洗濯物の影や木の葉の影が雨戸や壁に焼き付いた原爆の影も展示され
 ています。

 長崎原爆資料館HPへ

 爆心地から1キロくらい?の人たちは1500度から1800度くらいの猛烈な熱線を浴びた
 ため、瞬時に内臓の水分までも蒸発して人間の体でさえ即炭化してしまったそうです。
 
ちなみに、爆心地で3000〜4000℃ 爆心地から1キロで1800℃ 1.5キロで600℃
 だそうです。


 =====================================
 
岩のようになった赤土
 宮崎清盛さんは当時三菱重工で勤務中、妻は用事で諫早へと出かけていて留守、家には
 4人の子供たちが留守番をしていた。運命の瞬間子供たちは爆心地付近の自宅で全員即
 死した。

 必死の思いで清盛さんが自宅にたどり着いたが、そこには子供たちの遺体は無く、熱線で
 焼けて岩のようになったこの赤土の塊が残されているだけであった。宮崎さんは『子供たち
 は土へと帰った』と思って大切に子供たちの遺品として持っていたそうです。この原爆資料
 館が出来る事を知って寄贈されたそうです。

 
※もし、この記事に問題があるようでしたら、即削除いたしますので、メールにてお知らせく
 ださい。長崎原爆資料館様  リトルジョン

 =====================================
 
子供が親よりも先に亡くなる。これこそ不幸な事はない!ですね。宮崎さん御夫妻の気持
 ちを考えると・・・・・・・ね。

 
ビデオルーム2で「核実験と反核・平和」では広島・長崎だけではありません!被爆者は。
 旧ソ連のセミパラチンスク核実験場・アメリカネバダの核実験場の風下に住む住民や旧東
 ドイツロンネブルグウラン鉱山、アメリカニューメキシコウラン鉱脈で働いていた人たちも被
 爆しています。アメリカの核実験の時に『あのキノコ雲に向かって進め!』と命令されて進ん
 でいった兵士も被爆しています。彼らを
アトミック・ソルジャーと呼びます。

 交互に「核兵器のもたらしたもの」と「核実験と反核・平和」が流されていまして、「核実験と
 反核・平和」のBGMとして流されている曲(女性の歌声)は心の中にしっかりと焼きついて
 いるのですが、曲名がわかりません。第二次世界大戦中に流行した
リリーマルレーン
 ような曲なのか?または、反戦歌ではないかな?と思っていますが、
御存知の方がおられ
 ましたら、教えていただけないでしょうか?
どこかで聴いた事あるんですよね!『峠の我が
 家』かな?

 曲名が判明いたしました。日本の歌でした。(^^ゞ
 浜辺の歌 作詞:林 古渓 作曲:成田為三

 アメリカはいつまで経っても『原爆のおかげで戦争が早く終わった!』と相変わらずぬかして
 ますが、どうなんでしょうかね?ボクとしては疑問ですね!『じゃあ言わせてもらおう真珠湾
 攻撃はどうなんだ!』とアメリカ人の方に詰め寄られたらボクは答えられないでしょうね。
 外国人の方達も熱心に原爆・核兵器の事を勉強されていましたね。

 日本人よ!広島・長崎を見ずして 
              平和を語るなかれ!
                       (リトルジョン)

 釈然としない気持ちで長崎原爆資料館を後にする。
はたして原爆は必要だったのか?

 長崎原爆資料館の前の道を下って、
浦上天主堂へ向かう。当時東洋一の天主堂でし
 たが、被爆して跡形も無く崩れてしまい昭和34年現在の姿に復興する。中に入るとステン
 ドグラスが美しい、キリストだったかな?一生を描いた壁画が描かれている。浦上天主堂の
 石垣で、下のほうの黒っぽくなっている石垣が目に付きます。これは被爆した石垣を当時の
 まま残して組んであるそうです。

 浦上天主堂を後にして横断歩道を渡ってサントス通りを進んでいく。途中ある建物の所に
 警官が立っている「ここはなんだろう?」とよく見ると五星紅旗がひるがえっている。中華人
 民共和国総領事館だった。そのまま進み坂道を登ると永井隆記念館と隣に二畳ほどの小
 さな家が現れる。これこそ長崎医大の永井隆医学博士の住まいであった
如己堂である。
 如己堂は永井隆医学博士が白血病と戦いながら執筆活動をされた場所です。

 サントス通りを戻って神学校とカトリックセンターがある交差点に戻って道路を渡り正面の
 酒屋さんの自動販売機でアクエリアス(ペットボトル)を買おうとしたら硬貨が無い。仕方なく
 千円札で購入ところが、いつまで経ってもおつりが出てくる音が鳴り止まない。不思議に思
 っていると、おつりが途中で100円切れになり850円の内250円分は10円玉で・・・・・その
 ため釣り銭口の蓋が開かなくなってしまった。お店の人(20歳くらいのお兄ちゃん)を呼んで
 どうにか取り出してもらう。山王神社の一本柱鳥居を見たいので浜口町電停から系統1号
 正覚寺下行きで浦上駅前電停で下車して東方向へ歩いていくしばらく歩いてもまったく現れ
 ない「おかしいなぁ?」と電柱に書かれている住居表示を見ると“緑町”「こりゃ間違えたな」
 今年は関東地方が冷夏だったので、この暑さにフラフラになって視線も霞み始めた。「ホテ
 ルに帰ろう」宝町電停から1系統正覚寺下行きで築町電停下車ホテルへと戻る。

 このときに市電から何気なく表を見たら、
ギョ!っとした光景を見てしまいました!真っ赤
 な塗装の長崎県営バスの行き先がなんと!!『
女の都団地』なぬぅ?おんなのみやこ
 だんちぃ????ここはハーレムでもあるのか?\(^o^)/うわぁーい!
 戻ってきて、ホテルのフロントの方に聞いてみたら、『
めのとだんち』だそうです。『みなさん
 驚かれるそうですよ!』とおっしゃってました。

 まあ、どうにか部屋の掃除が終わっていたので部屋に入ることが出来た。水を浴びて火照
 った身体を冷やす「おお!気持ちいい!」冷蔵庫のビールを取り出し一気飲み、ベッドで横
 になりながらラジオを聴いていると知らないままに熟睡状態、目覚めると20時を回っていた
 食事に行くのも億劫になりそのまま就寝する。


  
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 2003/8/22(金)

 
築町電停から5系統石橋行きで大浦天主堂下で下車、北方向へ歩きホテルモントレ長崎を
 過ぎて、左手先にホテルニュータンダがある交差点を右折、オランダ坂通りに入って、
 
オランダ坂を登っていく。左手側は活水女子大・短大、右手側に東山手十三番館の横
 を通りそのまま坂を上がっていく。

 
東山手洋風住宅群で観光を済ませオランダ坂を下り石橋電停に出てくる。道路を
 渡って、グラバー園への案内看板を頼りに細い路地を進んでいく。

 目の前には
グラバースカイロードが姿を現した。

 ケーブルカーみたいに斜めに登っていく構造ですが、れっきとしたエレベーターだそうです。
 斜行エレベーターは1年半くらい前に完成して、縦移動のエレベーターは半年くらい前に完
 成したそうです。運転のおじさんが言ってました。これは観光客用でもあり、生活道路の役
 目も担っているそうで、現在は1階と5階しか止まりませんが将来は各階に止まるようにな
 っているそうです。

 斜行エレベーターを降りて20メートルほど歩く、垂直移動型のエレベーターの右側奥には
 
南山手レストハウスがあります。垂直移動型のエレベーターで3階に上がり10メ
 ートルほど歩くと
グラバー園(1) (2)第2ゲートになります。
 グラバー園内を散策して出口にある
長崎伝統芸能館(くんち資料館)で勇壮な長崎く
 んちのビデオを見る。

 その中に出てきた“コッコデショ”はかっこいいですね!『コッコデショ!コッコデショ!コッコ
 デショ!』の掛け声で山を上に放り上げて、またうまいことに片手一本で受け止める、それ
 からぐるぐるまわして最後に担ぎ手が着ている“はんてん”でいいのかな?それを一斉に空
 へと放り投げ、『コッコデショ!コッコデショ!コッコデショ!』の掛け声で山を上へと放り上げ
 る。「いやぁ!かっこいいなぁ!」踊り町といってその年の奉納町が決まっていて7年に1回
 まわってくるんだそうです。 コッコデショ参考HPへ

 5つほど山が飾ってあって、龍のところでは幼稚園のお友達たちが写生の真っ最中でした。
 覗いてみると、なかなか感じがつかめて上手でしたよ!冷房が効いているので30分ほど涼
 んで来ました。グラバー坂
(1) (2)を下って隣にある国宝大浦天主堂へ、ここも
 ステンドグラスが綺麗ですね。大浦天主堂下電停から5系統蛍茶屋行きで築町電停で1系
 統赤迫行きに乗り継ぎ松山町電停で下車『岩のようになった赤土』の経緯を調べるため再
 び長崎原爆資料館を訪れる。


 
アドバイスB
 築町(つきまち)電停で市電を乗り継ぐ場合は下車する時100円を料金箱へ入れて『乗り継
 ぎです』と運転手さんに言えば乗り継ぎ券を発行してくれます。ただし築町電停以外では出
 来ませんのでお間違いの無いように。

 例 グラバー園から平和公園に行く場合
 石橋電停または、大浦天主堂下電停から5系統蛍茶屋行きで築町電停下車、降りる時に1
 00円払って『乗り継ぎです』と言って乗り継ぎ券をもらう、そして反対側の乗り場から1系統
 赤迫行きで松山町電停で下車、降りる時料金箱に乗り継ぎ券を入れればOKです。



 長崎原爆資料館から徒歩で長崎大学附属病院の横を通って、ヤマザキデイリーストアの道
 路挟んで反対側の路地を登っていくと一本柱鳥居の
山王神社に着く、参道の鳥居と境
 内の大楠を撮影して戻ってくる。
孔子廟にはまだ行ってないので、浦上駅前電停から1
 系統正覚寺下行きで築町電停乗り換え5系統石橋行きで終点石橋で下車する。

 石橋電停から5系統蛍茶屋行きで築町電停乗り継ぎで1系統正覚寺下行きで思案橋下車
 徒歩で
崇福寺に向かう、戻ってきて思案橋電停から4系統蛍茶屋行きで賑橋(にぎわい
 ばし)電停で下車して、中島川沿いを歩き
眼鏡橋を撮影する。そのまままっすぐ進んで長
 崎くんちで有名な
諏訪神社へお参りに、諏訪神社前電停から5系統石橋行きで築町電
 停で下車ホテルへと帰ってくる。


  
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 2003/8/23(

 1日動けるのも今日が最後、徒歩で出島へ向かい、出島電停から1系統赤迫行きで長崎
 駅前電停で下車NHK長崎放送局の前の坂を登り西坂公園へ。今夜盆踊りがあるそうで、
 役員の方々が会場の飾り付けの真っ最中でして邪魔しないようにコソコソと隅のほうから、

 
日本二十六聖人殉教地西坂教会を撮影、西坂公園で山の方を見ると大き
 な観音様のお姿が見える。『あそこ行ってみるか?』ちょっと南に下って
長崎観音へ向
 かう。

 亀の甲羅の上に観音様が立っているユニークな観音様で(長崎港は鶴が羽を伸ばしたよう
 な形なので別名 鶴港=つるみなと と呼ばれています。鶴に相対するのは亀ですよね?
 だから亀なんだそうです)鎮魂の鐘をくぐると小さな小屋があって拝観料200円と書かれて
 いたが誰もいない。そのまま境内に入って観音様を撮影していると、70歳代の元気なおば
 あさんが出てこられてボクの方に向かってきて『200円!200円!』『ああ、はいはい!』
 200円を払うと『すぐ行って!そのまま真っ直ぐ!』『えッ?どこですか?』『そこの階段降り
 て地下行って!』言われたとおり地下へと降りていくと5人くらいの見学者が待っていて、正
 面には地球が自転していることを証明したフーコーの振り子(吊り糸の長さ25メートル日本
 一、世界第三位)がありました。観音様の頭の辺りから吊るされているそうです。

 『これはなぁ、電気で動かしてるんやけど、いまは節電でお客さんが来たときだけスイッチを
 入れて動かしてるんや』実際におばあさんが動かしてみて回りに立っている針金すれすれ
 に振り子が通るようにセットしていますが、何度も針金に当たってしまって『よう見えん!ス
 レスレに通るようにしたいんやけど!ダメやなぁ!こんどええやろ!』また針金に当たってし
 まって『あッ!また失敗したぁ!メガネ持って来ればよかった・・・・』おばあさんが自分の左
 手を見ると、『アレッ!!めずらしいなぁ!メガネ持ってるやん!いつも持ってないのになん
 で?持ってるんやろ?』メガネの効果があったのか?やっとスレスレに通ることが出来て1
 分もすると1本針金が倒れた『これで地球が自転していることを証明したんや!これ周りの
 針金は15分ごとに1本倒れるようになってます。つぎ!上にあがって』地上に戻ると、『は
 い!みんな回れ右!』横にある各激戦地で収拾された遺品の数々が展示保存されている
 慰霊殿に案内される。

 千人針や軍票・手榴弾など戦争関係の品々が展示されていて、1番驚いたのは長さ3メー
 トルほどある本物の魚雷が展示されていて、張り紙には『火薬は抜いてあります』と書かれ
 ていた。爆薬はホンの頭から20センチくらいまでで、あとは燃料とエンジンだそうです。

 そのあと本堂に案内されて、戦艦むつの遺財で作った大きな鉄兜が戦争で犠牲になった
 方々への慰霊のモニュメントとして安置されていて、鉄兜の下にはビルマ・フィリピンなど南
 太平洋の激戦地で収集されたご遺骨と遺品が埋葬されています。左側には原爆でお亡くな
 りになった皆さんを慰霊する祭壇があります。日本で1番最初に出来た原爆でお亡くなりに
 なった方々を慰霊するお寺だそうです。

 長崎観音を後にして、中町公園の木陰でしばらく休憩、中町教会はどこにあるのか?キョ
 ロキョロしていると左手奥に教会の姿が見える。
中町教会を撮影して長崎駅前に戻って
 くる。

 長崎駅前電停から3系統蛍茶屋行きで、新中川町電停下車
シーボルト記念館へ向
 かう。鳴滝高校の横を通り永田酒店の横の細い路地を歩いて行くと最初にシーボルト邸跡
 があり隣にはシーボルト記念館がある。

 シーボルト記念館を後にして新中川町電停から3系統赤迫行きで長崎駅前電停下車して、
 長崎駅へと向かう。長崎駅かもめ広場では長崎国際テレビの24時間テレビ会場とな
 っています。ちょっと見学して、お昼を食べるために隣のアミュプラザ長崎の5階にエスカレ
 ーターで上っていったら、なんと!24時間テレビのTシャツを着た漫才のパックンマックンが
 降りてきた!お昼ご飯を食べていたのでしょうかね?一瞬だったのでよく見てなかったんで
 すが、 確かあれはパックンマックンだったと思いますね。回転寿司の『すし活』さん(安くて
 美味いから混んでましたねぇ!)で寿司をいただいて満足する。

 長崎駅前電停から1系統蛍茶屋行きで築町電停乗り換え5系統石橋行きで終点石橋電停
 下車グラバー園へと向かう。
 
 じつは、カメラのレンズに汗の後が残っていたのを知らずに撮影してしまって、肝心なところ
 が曇っているので、気に入らない!撮影しなおしで再び訪れたのでした。バチバチ撮り終え
 て、グラーバー坂を下り、
清風堂で有名なチーズカステラを購入する。

 大浦海岸通りに出てきて
旧香港上海銀行長崎支店記念館を拝観する。係り
 の方に『内部の撮影は禁止ですか?』と伺うと、『いや、かまわない!かまわない!』と言わ
 れたので堂々と撮影する。記念館2階には名古屋市熱田区出身の故久保田馨(くぼたか
 おる)氏の頓珍漢人形(300体)の展示があります。アメリカの水爆実験を機に創作を始め
 人間の愚かさを表現したそうです。大浦天主堂下電停から5系統蛍茶屋行きで築町電停下
 車ホテルへと戻る。

 休憩の後(のち)17時過ぎホテルを出発築町電停から1系統赤迫行きで長崎駅前電停下
 車、長崎駅前バス乗り場から3系統下大橋行きでロープウエイ前下車して
稲佐山へと
 上る。夜景の写真がまったく使い物にならなかったので、長崎最後の夜、三脚持参で『土
 曜日なのでカップルが沢山来て撮影する場所がないんじゃないか?』とのことで早めに上
 がる事にしました。

 そういえば稲佐橋の手前にバスが来たら警官が1人誰かと話してる、親子連れの母親の
 方が『あッ!事故やってる!あれと、あれだ!』見てみると、トヨタの深いブルーのアルテ
 ッツァと、相手方は黒のシビックかな?不明です。で、深いブルーのアルテッツァは側面
 25センチくらいの幅でドアから後輪辺りまで凹んでキズが走ってる。『こりゃあ、修理代高
 くつきそうだなぁ』

 ロープウエイですが、なんと!乗客はボクひとり『あらららら〜!』浴衣姿の案内のお姉さん
 と二人っきり!!\(^O^)/その前に『改札いたしまぁ〜す!』とミニスカートのお姉さんが出
 て来て鋏を入れてもらったんですが、そのお姉さん白くて綺麗な脚でしたねぇ!思わずズボ
 ンがテント張りそうになってしまいましたね。
これこれ!

 土曜日だというのに
稲佐山展望台はお客さんはガラガラ状態で三脚のおかげで満足いく
 写真が撮れました。


  
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 2003/8/24(

 7時半にホテルをチェックアウト、大きな荷物は宅配便で送ったので身軽な格好で築町電停
 から1系統赤迫行きで長崎駅前電停で下車、長崎駅へと向かう。長崎駅のかもめ広場では
 長崎国際テレビの24時間テレビが行われている。大きな仕切りで仕切られていて上に登ら
 ないと中の様子は伺えません。

 長崎8時30分発かもめ(白いかもめ6号で博多10時18分着、地下鉄に乗り換えて天神
 駅(運賃200円)下車して、福岡駅(西鉄)11時00分発特急大牟田行きで二日市乗り換え
 で大宰府駅(運賃390円)に到着、駅前から右に折れて参道を進んでいく。参道沿いには
 お土産屋さんや食堂などが軒を連ねていて、そこかしこからカチャカチャと太宰府名物梅ケ
 枝餅を焼く音が聞こえてくる。

 しばらく進み左に折れると朱塗りの太鼓橋が見えてくる。それを渡ると
大宰府天満宮
 の拝殿が姿を現す。清め水で身を清めてお参りを済ませ、拝殿と飛梅を撮影して休憩所に
 て休憩(ここで掲示板に書き込みしました)する。福岡地方は雲が多くて長崎と比べると過
 ごしやすいです。そういえば、鳥栖駅の少し手前でしょうかね?空が暗くなって一雨来そう
 な気配でしたね。

 大宰府天満宮を後にして参道のお土産やさんの『やす武』で梅ケ枝餅5個を購入、博多駅
 へと戻ってくる。お昼を回っていたので、博多1番街でボクとしてはおなじみのカレーショッ
 プシェフ
でビーフカレーをいただく。

 どこのお店もお昼時なので混んでますねぇ、ここはお奨めですよ!ロッテリア・ファーストキ
 ッチンなどのファーストフードからステーキ・回転すし・郷土料理・居酒屋・ピザ・うどんそば
 ・ラーメンなどバラエティ豊かです。また、駅前の便利さと値段が安いのでお昼・夕方のご飯
 時には混雑します。

 博多駅(1) (2)

 博多14時49分発ひかり104号で小田原20時12分に着きました。 


 今回は合計歩数
73,670歩でした。


  
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